しあわせのカタチ
毎度のごとく、お久しぶりです。
前回の記事とは全く関係ないことを書きます。
ちょうど一か月前、とても悲しいことがありました。明言はしませんが、それは僕の人生で最も辛く悲しい出来事でした。いつか「その日」が来ることはずいぶん前から分かっていたのに、それは突然やってきたように感じました。
この記事は、だれのためでもなく、自分の今の気持ちを書き残しておきたいとふと思ったので書いています。特に結論も伝えたいメッセージもないです。ただ、書くだけ。
「その日」が来る前も、来た後も、時間は同じように過ぎています。いま世の中は大変なことになっていますが、時間は過ぎていきます。自分自身に何も変化は無いはずなのに、「その日」より前か、後か、で僕の世界は大きく変わったのです。大きく、絶対に倒れないと思っていた柱が、小さくなり、静かに倒れたのです。僕はただそこにいて、見ていることしかできなかった。悲しい気持ちや、安堵、混乱、怒り、諦め、様々な感情がその日から今日まで、僕の中に渦巻いています。
「なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ!」
これはアンパンマンのマーチ(作詞:やなせたかし)の2番の歌詞です。
ここでふと思うわけです、「しあわせ」とはなんでしょう?
お腹いっぱいたべること?好きなスポーツに打ち込むこと?たっぷり眠ること?
もちろん、その答えは一意に決まるものではありません。しかし、「しあわせ」の根底は、人との関わりによって形作られるような気がしています。あの人が笑ってくれたから、自分も笑う。影響を受けたり、及ぼしたり、相互に関係しながら「しあわせ」がカタチ作られていく。そんな気がしています。
もともと、このブログは僕の留学の記録を残すために始めたものでした。フィリピンやシンガポールでの経験を経て、「グローバルでデカい事を成し遂げてやる」と息巻いていました。今は少し、その勢いを抑えて、すぐ身近にある「しあわせ」を大切に育んでいきたいなと思っています。いつか、この心がしっかりと癒えて、準備が整えば、以前のようなチャレンジングなこともできるかもしれません。
目線を変えます。
日本を含め世界中で新型コロナウイルスが猛威をふるい、人々の日常生活が様変わりしました。ネガティブな感情が渦巻き、みんなが疲れています。確かに長い自粛生活でいろいろな自由が奪われました。経済的に困窮されている方も相当数いらっしゃるのでしょう。そこで僕はまた考えるのです。「なにが君の しあわせ」と。
何があれば幸せで、どうすれば不満無く生きていけるのか。この問いに対する答えを探し続けることが、僕に課された宿題なのかもしれません。
(また、気持ちに変化があれば書きたいと思います。)