Carpe diem ~自転車と共に~

理系大学院生のブログ。ときどきサイクリング。

英語について思うこと その2 ~振り返り~

今日は実験があっという間に終わってしまったので、午後から時間がありました。たまには自分のことを時間をかけて振り返ってみようと思います。前回の記事では、僕の英語についての考えのなかで、お伝えしたいことを4つ挙げて説明しました。それに関連して今回は、その背景について書きたいと思います。

岐阜県の市立中学、県立高校と進学し、今は岐阜大学大学院に身を置いているわけですが、地方の平凡な一学生がどうしてこんなことを考え始めて、みんなに伝えようと思い至ったかについてです。最後には、中高生のみんなに気付いてほしいことも書きました。長くなってしまいましたが、是非とも読んでいただければうれしいです。

 

長いので目次をつくりました

 英語にめざめた?中学時代

必要なのは受験英語?な高校時代

もうじっとしていられない、大学時代

視野を広げ、世界を知ろう

 

英語にめざめた?中学時代

 

 「俺は日本人なんだから、英語なんて必要ない。」

 

こんなことを口癖にしていた少年がいました。彼は本当に英語が苦手でした。中2だというのに、be動詞の使い分け・時制があやしいレベル。

 

「日本語ですらまだまだあやしいのに、なんでよその国の言語なんて勉強しなきゃいけないのか。」

 

よくある言い訳です。確かに一理あるような気がしますが、あまり建設的ではありません。そんな折、彼と母親と担任の先生との三者面談で先生がこう言いました。

 

「これからは英語が必ず必要になる。勉強しておいて損はない。」

 

ありがちなアドバイスですが、素直な少年と母親はこの言葉をとても真剣に受け止めました。それまで塾に通うことなど考えもしなかった彼ですが、とんとん拍子で近所の個人塾(英語専門)に通うことになりました。非常にアットホームな雰囲気で居心地の良い塾だったようです。教科書の内容を予習したり、テキストを使って文法の復習をしたりと、基本的なことを繰り返すのがこの塾のスタイル。それでも最初はちんぷんかんぷんなことが多く、答えをチラ見してよく怒られていました。最大でも5、6人しか入れない小さな部屋で、英語とにらめっこする日々が続きました。

 

覚えては忘れ、忘れては覚え、少しずつわかる単語や文法が増えてきた中2の秋、ふとTVCMでこの曲が流れてきました。

My Chemical Romance - "Welcome To The Black Parade"

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何故だかわからないけれど、ものすごく惹かれた彼は即CDを購入し、何度もリピートして聴きました。歌詞なんて全く聴き取れない、そもそも意味わからない、けれど頭から離れない。この曲をきっかけに、彼は「洋楽」を聴き始めました。もちろん、何を歌っているのかは「さっぱり」なのに。

当時流行っていた洋楽といえば、

Daniel Powter - Bad Day

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James Blunt - You're Beautiful

www.youtube.com

などです。

ここから彼の洋楽の世界はどんどん広がっていきました。Linkin Park, Rihanna, The Black Eyed Peas, Eminem, T.I., Jay-Z, Hoobastank, Fall Out Boy, などなど。ただ、リズムが心地よいとかカッコいいとか、そんな理由です。

 

こうしてひたすら洋楽を聴いていたことで、少年の生活の中に少しだけ「英語」が入り込んできました。それでもまだ、英語は苦手「教科」のままです。洋楽に夢中な一方で、不規則動詞にてんやわんやの日々。

 

「継続は力なり」とはよく言ったもので、中学3年生の夏ごろになると少年の英語力はやっと平均よりちょっと上のレベルになりました。人生初めての関門「高校受験」に向けて、仲間たちと切磋琢磨していきました。ほどなくして「意味が分かる・読める→うれしい→もっと読んでやろう」の好循環ができ、めきめきと力を伸ばした少年は、受験でも、けっこういい点をとることができたようです。

 

    と、三人称視点で僕の中学時代を振り返ってみました。ちょっと変な感じがしましたが、流れはつかんでもらえたと思います。中学時代は多感なこともあり、カッコいいものに惹かれることが多いですよね。僕にとってその対象の1つが「洋楽」だったということです。こうして、意図せず日常生活の一部を英語化していました。お勉強としての英語は、いい同級生といい先生に恵まれたことがラッキーでした。

 

必要なのは受験英語?な高校時代

三人称視点は書いていて疲れることが分かったので、ここからは普通に書きます。

無事、志望する公立高校に入学を果たしたわけですが、中学のぬるま湯の授業とは打って変わって、質・量ともに大幅アップした授業にひいひい言う日々が続きました。そんな中でも、僕の洋楽ライフは少しグレードアップしました。買い与えてもらったノートPCで、当時日本でも流行り始めのYouTubeを観るようになったからです。特に印象に残っていることがあります。それは、ちょうど学校で習った文法がYouTubeで聴いた歌の歌詞に登場したことです。

Whateverの用法を覚えたてのころ、この曲を耳にしました。

T.I. - Whatever You Like

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ちょっと歌詞はアレですがこの瞬間、ただ心地よいから聴いていたものが、高校の学習と結びついたのです。こんなにうれしい驚きはありません。堅苦しい文法書の中でしか見なかったものが、アメリカはアトランタ出身の「キング・オブ・ザ・サウス」を自称するラッパー、T.I.が歌うギャングスタ・ラップの中に登場したのを目の当たりにしたわけです。文法書とギャングスタ・ラップの融合ですよ。アツいですね。

この経験を経て、「英語は単なる教科じゃないんだ」と強く、強く意識するようになりました。高校英語の世界はまさに詰め込み教育で、読解偏重のアンバランスな授業に疲弊していた僕にとってはまさに青天のへきれきでした。 

 

しかしながら、高校においての「英語」の扱われ方はひどいありさまでした。その理由は「進学校特有のシステムと大学受験」にあります。

 

いわゆる「進学校」と言われる高校では、常に受験を意識した授業をしています。科目数も多く、課題や小テストが毎日のように学生を攻め立てています。また、高校2年生になるタイミングで志望する大学や学部により、文系・理系にクラス分けされます。それぞれのクラスで受験科目に合わせた授業がおこなわれ、まだ自分の将来像をイメージできない段階のまま、なすすべもなく選択肢が狭められていきます。そのような忙しい学生生活の中で、「英語」は文理共通の重要な科目として位置づけられ、主に読解力向上のための授業がなされていきます。単語をより多く、文法をより正しく暗記した学生が優秀であるとみなされる世界です。そこに、コミュニケーションツールとしての英語の姿はありません。クラスメイトは発音記号を読むことすらあやしい人が多数を占めていました。それもそのはず、「教わらないから」です。当時の多くの同級生達にとって、英語は単なる一教科であり、教科書か先生のみが英語を知る手段だったのです。そしてそれらから与えられる情報は、すべて大学受験を意識したものです。つまり、単語や文法の「知識」、長文から問いに対する解を見つける「読解力」と、少しの「リスニング力」の3つに焦点を当てた「英語」です。少なくとも、僕がいた高校ではこのような傾向がありました。

 

このアンバランスさが、どれほど多くの高校生の英語に対する価値観をゆがめてきたことでしょうか。僕は怒りさえ感じます。大人たちは何も教えてくれませんでした。知らなければ、欲することもできません。ただ、「大学受験」というぼんやりした光に向かって疲れた顔をして走り続けることしか選択肢になかったのです。僕が言いたいのは、「中高生には、”英語の有用さ・大切さ”を学習以外の観点から伝えることが必要」ということです。何かのきっかけで英語に学習以上の興味をもてるようになれば、そこからは勝手に伸びていくはずです。そのきっかけづくりをしなければいけないのは、学生に関わる大人たちだと思います。

 

それでも、高校でで詰め込まれる知識やスキルは、正しく使えばものすごく強力な威力を発揮するはずです。もし、高校3年間できちんと英語を学べば、「多くの語彙を用い、正しい英語で、伝えることができる」はずです。しかし実際はどうでしょうか。あんなに頑張ったのに、あんなに覚えたのに、学んだはずの英語は中々出てきません。理由は簡単で、「アウトプットしないから」だと思います。詰め込まれた知識が使われる場面は、テストの問題を前にしたときです。決して、英語話者と対峙したときではありません。

 

こうして、中学・高校と6年間英語をそれなりの強度で学び続けたのにもかかわらず、多くの知識は日の目を浴びることなく、頭の奥深くで眠ったままになるのです。高校(中学校も同様)で、このまま古いシステムを運用していくのには無理があるでしょう。早急にアップデートする必要があると思います。2020年1月からセンター試験に代わる新しい大学入試の試験が導入されるようですが、それに伴って高校教育(中学教育)がどのように変わっていくかしっかり見届ける必要がありますね。

 

友人がこの件に関して、興味深い記事をシェアしていました。

agora-web.jp

今まで小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年、大学院1年+1年休学と、18年間もの間「学生」をしてきました。このような長い間、記事の中にある「日本の教育を支える教育思想」に基づいた教育を受けてきたわけです。とても危惧していることは、この教育思想は間違ったゴールを示していて、多くの学生は気付かない(気付けない)ままになっていることです。僕は政治家になるつもりも、教育者になるつもりもないので、制度を変えたり、目が覚めるような授業をしたりすることはできません。しかし、いろいろな働きかけによって「学生の視点を変える」ことはできると思っています。このブログがその足掛かりになれば、と思います。

 

少し話がそれましたが、高校の話題に戻りましょう。

 

高校時代は、僕も知識偏重の波にのまれました。大学受験のために、ひたすら授業に食らいつくしか道はありませんでした。しかし、その大きな波の中で小さな希望を見つけられたのも事実です。先ほど書いたように、僕は高校入学と同時にノートPCを買い与えてもらいました。ガラケーもろくに使わない僕の目の前に、Webという大海原が現れたのです。好奇心の船に乗って自由気ままに情報を求める旅が始まりました。多くの情報に触れるうち、あることに気付きました。当たり前かもしれませんが「日本語で調べるより、英語で調べたほうが的確な情報にたどり着ける」ということです。

 

例えばGoogleで「シンガポール」と「Singapore」で検索し、ヒット数を比べてみると(2017/1/18時点)、「シンガポール」が約 47,900,000件に対し、「Singapore」が約 942,000,000件とおよそ20倍のヒット数でした。ヒット数が多い分、たくさんの情報にあたることができ、知りたいものにたどり着ける確率が上がるというわけです。今更何を言っているんだと言われそうですが、この事実からわかることがあります。

「日本語だけの世界に生きることは、到達できる情報量を減らすことを意味する」

ということです。もちろん、例外もあります。「日本」と「Japan」、「自転車」と「bicycle」などです。一般的な言葉なら、英語と日本語でさほど差は無いでしょう。しかし、どんな情報においても専門性が増していくにつれて、英語の情報数が圧倒的に多いことに気付くはずです。

 

意外と、このことを意識する場面は少ないと思います。僕が高校生だった7~9年前でさえ、テレビ、ネット、携帯などの電子メディアで「日本語の情報」が絶えず発信され続けていたのです。今となってはスマホが当たり前で、中高生が欲するような情報はすべて「日本語」で十分こと足ります。このような事実を、高校生のうちに自ずから感じることができたのは幸運でした。「英語は情報のとびらをを開くカギになりうる」と気づけたのです。

 

もうじっとしていられない、大学時代

高校時代での勉強がそれなりに身を結び、岐阜大学に入学できました。学部と学科は、工学部機械システム工学科といいます。大学に入ってから、僕がどんなことを感じて何をし始めたかは、このブログの一番最初の記事に書いた通りです。

carpediem-onk.hatenablog.com

要約すると、「大学へ過度な期待をしていたことに早々に気付き、何か変えようとフィリピンに語学留学をして、外(英語を含む)に対しての考え方を深めた」ということです。こうして僕は、「日本人にとって、英語がどうあるべきか」考えるようになりました。

 

視野を広げ、世界を知ろう

僕は大学1年生から個別指導塾の講師アルバイトをしています。中高生を相手に、いわゆる5教科を教えています。中でも英語と数学を教えることが多いのですが、時々、「当時の自分」を見ている気持ちになります。単語や文法に四苦八苦しながら、どうすればテストで高い点が取れるかを考えて学習をする姿は、僕が中学生だった時から何ら変わっていません。学習塾なので、それが当然の姿勢であることは承知しています。そういう教育システムの中で、精いっぱい結果を出そうとしている生徒たちは素晴らしいです。それでも、やりきれない気持ちにならないと言ったら嘘になります。これは英語にとどまる話ではありません。

 

当時の自分を振り返っても、今の中高生を見ても、明らかに「見ている世界がせまい」のです。中高生の生活や意識を非難しているわけではありません。そのような環境で無意識に生活していることを、非常に憂いているのです。根拠はありませんが、地方に住んでいるほど、その傾向が強くなる気がします。

 

ご存知の通り、僕は岐阜県で生まれ育ってきました。振り返ると、中学高校では、家と学校を往復する生活で、遊び場といえば友達の家か近所のショッピングモールくらいのものでした。全て、学校と家の周囲で完結していたのです。非常に狭いコミュニティで多感な時期を過ごしていたことに、大学生になってから初めて気付いたのです。

 

現在は、中高生にもスマホが驚くほど普及し「ネット」という強力なツールを使うことができます。しかし、環境は当時僕が過ごしていたものとさほど変わらないように見えます。それは結局のところ、”情報の海”であるネットを使ったとしても「自分の興味のある事にしか使わない(使えない)」からだと思います。LINEで学校の友達とつながり、ツイッターで自分と趣味の合う人をフォローし、Instagramで生活が充実していることを必死にアピールする。悪いことではありませんが、もったいない気がします。

 

もちろん、早い段階から自分の可能性を広げるように、どんどん行動を起こせる人もいます。そういう人たちは、放っておいても大丈夫だと思います。僕が考えているのは、「無意識に小さなコミュニティで生活している中高生が、”自分の立ち位置や世界”を客観的に眺められる方法」です。何にも疑問を持たず、「なんとなく」毎日過ごしている学生たちに、自分の人生をデザインしていくことがいかに大切か、伝えたいです。このブログから始めていきたいです。地道にやっていくことが大事なのだと思っています。大人たちの意識が変わるのを待ってなんていられません。これからを担う若い世代(自分もですが)に、ダイレクトに響くメッセージが伝えられればと思います。

 

バイトをしている塾の講師紹介で、僕からの一言コメントは働き始めた6年前から変わっていません。こう書いてあります。

 

”視野を広げ、世界を知ろう!!”