Carpe diem ~自転車と共に~

元理系大学院生のブログ。人生を自転車に捧げた人。ときどきサイクリング。

シンガポール生活始まりました

ブログを作ったまま2ヵ月も放置してしまいました。すみません

前回の記事から大きく文体が変わってますが気にしないでください。

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僕はいま、シンガポールにいます。

目的はシンガポール国立大学で複合材料の研究をするため。

先週の水曜日(10/26)にシンガポールへ到着し、今週からは徐々に研究が始まっていく予定です。

 

まず、この留学が実現した経緯を説明します。ちょっと長くなりそう。

遡ること昨年12月、修士一年の冬のことです。僕は、所属研究室の教授にいいました。

「来年は休学して、フィリピンで語学留学、オーストラリアでワーホリしてきます」

 

教授はわずかに表情を変え

「なんで?」

 

僕は用意した理由をつらつらと述べましたが、教授は納得していない様子で

「もっと学術的な留学にしなさい。私が紹介するから」

 

「うーん、少し考えさせてください」(いやいや、無理だって)

きっと教授からしたら至極当然のアドバイスだったと思いますが、僕からしたら晴天の霹靂でした。たしかに留学したいとは前々から言っていたけど、教授の紹介だけで海外の大学に乗り込んでいくなんて想像がつかなかったからです。(実際そうなったわけですが。)

 

まぁそこでいろいろ考えたわけです。修士1年という学年を考えれば、留学のチャンスとしては最後になるし、留学が終わるタイミングで就活が始まるし、そもそも自分はフィリピンとオーストラリアで何を得ようとしていたのかなど。フィリピンは優れた語学学校があり英語を学ぶには魅力的だと経験的に知っていましたが、オーストラリアは正直未知数でした。単にそういうルートがあるということだけで、あまり深くは考えていなかった。

じゃあもっとチャレンジングな方でいいじゃん、ということで教授の薦め通り学術留学を決めました。候補シンガポールの他にカナダがあったのですが、いろいろ考えてシンガポールにしました。

非常にざっくりとした理由をいくつか挙げると、

  • アジア最高峰の大学で研究ができる
  • ネイティブでない英語話者の英語に慣れることができる
  • 日本とも関わりが深い

こまかい解説は省きます。とってつけたような説明になるのも嫌なので。

そんな経緯でシンガポール国立大学への留学交渉が始まりました。

教授に連絡をとっていただいて、受入研究室まで決まったころに

「このつづきは奨学金ゲットしてから連絡してね」

と告げられ、そういえば留学資金どうしようかなと急に焦りました。

 

そして見つけたのが

トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム

「トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム」は、2014年からスタートした官民協働で取り組む海外留学支援制度です。

2020年までの7年間で約1万人の高校生、大学生を「トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム」の派遣留学生として送り出す計画です。
派遣留学生は支援企業と共にグローバル人材コミュニティを形成し”産業界を中心に社会で求められる人材”、”世界で、又は世界を視野に入れて活躍できる人材”へと育成されます。

帰国後は海外体験の魅力を伝えるエヴァンジェリスト(伝道師)として日本全体の留学機運を高めることに貢献することが期待されています。

(トビタテHPより:http://www.tobitate.mext.go.jp/program/index.html)

www.tobitate.mext.go.jp

 

詳しく見れば見るほど、非常に魅力的な奨学金制度であると感じました。

トビタテに関しては別にまた詳しく書きたいと思いますが、とにかくこれに応募することを決め、綿密な計画と志望理由を書き上げました。これが結構大変だったな。

 

うれしいことに一次審査を潜り抜け、二次審査を受ける権利を得ました。

で、二次審査の面接場所が「文部科学省」。岐阜の田舎者には少々舞台がよすぎる気もしましたが研究室の作業着を着て、「いいから黙って僕に投資してください」と熱く丁寧にお願いしました。

まわりのみんなが凄すぎて怖気づいてましたが、なんと採用していただきました。ありがとう文科省と企業の皆様。

僕は常日頃から自分はラッキーだと言い聞かせていますが、こんなに幸運を感じたのは久々でした。

 

ということで無事奨学金を得て、僕の留学は実現に近づいたわけです。

 

が、ここからもう少し紆余曲折を経てシンガポールにたどり着くことになるのですが、その過程は次の記事に譲ることにします~。